柔道家として世界の頂点を極め、指導者として日本代表を再び黄金期へ導いた井上康生さん。その歩みのそばには、いつも両親の存在がありました。
厳しく柔道と人としての礼儀を教えてくれた父。どんなときも「あなたは大丈夫」と信じ、背中を押してくれた母。2000年、シドニー五輪で金メダルを獲得したとき、井上さんは「少しでも親孝行できたのではないか」と感じたといいます。
自身も4人の子どもの父となった今、改めて気づく両親の愛情とは。そして、井上さんが考える「親孝行」とは何なのでしょうか。
両親との思い出から、今も大切にする教え、供養、そして「ありがとう」を伝えることまで。一人の息子として、一人の父として、親子への想いを聞きました。

父は真面目で厳格、母は温厚で柔和な人でした。私は3人兄弟の末っ子で、甘えん坊。幼少期から人一倍大きな体をしていましたが、泣き虫でいつも母の後ろに隠れているような子どもだったんです。5歳になったある日、父に連れられ、初めて柔道場を訪ねました。道場で父が自分より大きな相手をばんばん投げていく姿を見て、「かっこいい!」と感動したんです。それが柔道との出合いでした。当時、2人の兄は剣道に勤しんでおり、自分も兄や父のように強くなりたいと思い、地元の宮崎市にある静充館に入門し、柔道を始めました。
父からは柔道を通して人としての本質も教わりました。小学生の頃、納得いく試合ができず、対戦相手に礼をしなかったことがありますが、そのときは懇々と叱られました。他にも、脱いだ靴の並べ方、挨拶、礼儀など、柔道の技術以上に大切なことも教えてもらいました。小学4、5年生のとき、本気で柔道の道へ進むと決め、父に「もっと強くなりたい」と正直に伝えると、「わかった」と一言。それ以来、父ががらりと変わって、一層指導が厳しくなりました。道場では厳しい父も、家庭では優しい普通のお父さんでしたね。
これは大人になってから父の知人から聞いた話ですが、父は行きつけの店で「我が子に厳しくするのは大変だよ」と言っていたそうです。父も私を本格的に指導するようになってから、親として葛藤していたのだと思うと、胸が熱くなりました。
母は本当に優しい人で、いつも「あなたは大丈夫よ」と言ってくれました。母の言葉にいつも背中を押してもらっていましたね。試合のときは必ず応援に来てくれたので心強かったです。試合で思うような動きができずに落ち込んで帰宅したときも、温かく迎えてくれました。そっと食事を出して、黙って話を聞いてくれるのがありがたかったですね。兄弟3人、それぞれスポーツをやっていたので、いつも栄養バランスの良いメニューを作ってくれました。私も兄たちも食べ盛りでしたから、当時のお米の消費量は1カ月で約70キロ。食事作りも大変だっただろうなと思うと、感謝の気持ちでいっぱいになりますね。
言葉で強く言われたことはありませんが、期待されている感覚はありました。地元の宮崎県から神奈川県の高校へ進学が決まったとき、周囲には反対する人も少なくありませんでした。でも、父は「何を言われても恨むんじゃない」と。悔しい気持ちを必ずエネルギーにして、頑張れと言ってくれました。高校進学後は、父の言葉をいい意味でのプレッシャーに変え、「絶対に負けない」「活躍するぞ」と、自分を鼓舞しました。
母はいつも穏やかに応援してくれましたが、1度だけ感情をあらわにしたことがあります。高校3年時のインターハイ県予選の決勝で敗北したとき、母が「あなたに2位は似合わない」と言って表彰状をびりっと破いたんです。母も悔しかったのだと感じ、これからもっと頑張ろうという気持ちになりました。

当時、大会で思うような結果が出せず、スランプに陥っていました。電話で母と話した2日後の朝、兄から母の訃報を受け、頭が真っ白に……。信じられない、信じたくない気持ちで、深い悲しみにくれました。母が旅立ってから1週間後にインカレの団体戦が控えており、監督や仲間から休むよう勧められましたが、大会の2日前に出場を決意。悲しみは癒えていませんでしたが、「誰よりも自分を応援してくれた母に、天国から見てもらいたい」と、強い気持ちで臨みました。
母の葬儀が終わり、神奈川へ帰るときに父から母の手紙を受け取りました。亡くなる少し前に母が出そうとしていたそうです。手紙には、「初心にかえって頑張ってください」「自分を信じなさい」と書かれていました。当時、私が不調の最中にあったのを気遣ってくれたのでしょう。それから「初心」について深く考え、なぜ柔道を始めたのか、自分の原点を思い出しました。「柔道が好き」「もっと強くなりたい」、そんな想いで始めたのに、今は周囲の期待に応えることがモチベーションになってしまっている……。そう気づいてから、練習中の心持ちが大きく変わり、少しずつ調子が上がりました。そして、母が他界して3カ月後に挑んだ世界選手権で優勝を果たすことができました。
五輪では、「自分の実力で母に金メダルをプレゼントしたい」という想いを込めて、帯に刺繡を入れてもらいました。五輪で優勝して、絶対母に報告すると強い気持ちでしたね。練習中から、自分が試合で勝ち進んでいく姿、金メダルを掲げる姿をイメージトレーニングしながら心身を整えていきました。
アスリートにとってどの大会も試合も重要ですが、やはり五輪は特別な場所です。そこで金メダルを達成したことは、言葉にできないほどのよろこびでした。自分の人生を全てかけて支えてくれた父と母に、少しでも親孝行できたのではないかと感じましたね。母には苦労ばかりかけましたが、誰よりも私を信じて応援してくれました。両親が協力して私を育ててくれたおかげで、成功をつかめたことに感謝でいっぱいでした。また、両親だけでなく、これまで自分を支えてくれた監督やチームメンバー、練習パートナー、各国のライバルたちにも深く感謝しています。彼らの存在なくしては成長できなかったと思います。
生前、両親は「試合の応援でいろいろな場所に行けてよかった」「親としての青春を楽しめた」と話していました。私が未成年の頃は、保護者としての責任感もあったと思いますが、旅行のような感覚で楽しんでくれていたのかな? と感じます。
自分も親になってからは、子どもの行事、例えば運動会などで元気いっぱいの姿を見ると胸が熱くなります。子どもと一緒だと、日常のちょっとしたこともすごく楽しく感じる。私の4人の子どもたちも全員柔道をやっているので、大会や試合には必ず行きます。子どもたちのおかげで、皆が真剣勝負を挑む場に来られるのは幸せですね。きっと、両親もそうだったのではないかと思います。
父は2022年に他界しましたが、父から学んだことは数えきれないほどあります。後進の育成では、父のように柔道の技術だけでなく、柔道の本質を伝えるように心がけています。例えばミーティングでは柔道の歴史について講義するなど、柔道の精神を大事にしています。それが日本代表、指導者としての責任でもあると考えています。
親孝行といえるかどうか分からないのですが、両親と日頃のコミュニケーションは大事にしていましたね。中高生の思春期時代も親に対して壁を作ることはありませんでした。柔道という共通の目標があったからだと思います。高校時代、チームの監督から「帰省したらお世話になった道場に挨拶に行きなさい。そして親孝行しなさい」と言われたことも心に残っています。高校生で親元を離れたので、帰省して親と一緒に過ごせるのはうれしかったですね。両親には「ありがとう」と感謝の気持ちを素直に伝えるようにしていましたし、兄たちも同じでした。
宮崎に帰省したら必ず、お墓参りをしています。正月やお盆は家族も一緒です。近況を報告しながら、「これからも見守ってください」と、穏やかな気持ちで墓前に手を合わせています。
子どもたちの普段の何気ない行動がうれしいですね。何事も一緒に取り組んでくれますし、落ち込んでいるときは声をかけてくれます。いつも家族に支えられていると感じます。

挨拶、お礼、片づけなど、人として大事にすべき普遍的なことはしっかり意識づけしています。ただ、今の子どもたちはデジタルネイティブ世代で自分の子ども時代と比べて社会的環境のギャップがあり、スポーツの取り組み方も異なります。ですから、私も時代の背景をしっかり理解したうえで、適切な教育を考えなければならないと考えています。例えば、SNSを使うときのリスク管理、今後試合などでインタビューを受けるときの心構えなども話していますね。でも、何事においても完璧を求めているわけではないので、子どもたちの意思を尊重するよう心がけています。
親孝行を大きく捉え過ぎずに、小さな行動で感謝を伝えるのがよいと思います。言葉で伝えるのが照れくさくても、例えば、肩を揉んだり、マッサージしてあげたりするだけでも気持ちが伝わるのではないでしょうか。離れて暮らしている場合は、はがきを1枚出したり、お花を贈るだけでもよろこばれるはずです。
スポーツを通じて社会にどう貢献するかを常に考え、そのための実践と努力を重ねています。公的な仕事も自発的に取り組み、やりたいことや「こうありたい」と思う理想の実現に向けて努めています。個人ではNPO法人JUDOsの活動にも注力していて、柔道を通じた国際交流、道場の畳のリサイクル活用、柔道指導者のいない国への指導者派遣など、世界と柔道をつなぐ架け橋になることを目指しています。
リーダーシップにおいては、「熱意」「創意」「誠意」の3つを大切にしています。目標を達成するには何より熱意が大事。また、何事も考えて工夫する創意工夫、そして他者に対して誠実かつ謙虚であることを自分の行動指針としています。私は柔道を通じて、失敗も成功も経験し、どんなことがあっても最後に乗り切るのは自分自身であり、スポーツは生きる力になると学びました。これからも多くの人に柔道の精神、楽しさを伝えていきたいと思います。