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今できる親孝行2024.12.16知っておくべき『永代供養』の真実 ~こんなはずではなかった…とならないために~

昨今はやりの永代供養、という言葉。お墓に興味が無い方でも、耳にした経験があるという方はいらっしゃるでしょう。ましてやお墓探しをされている方にとっては、いまや避けて通れないキーワードとなっています。それほどまでに現代社会へ浸透したこの言葉は、いったい何者なのでしょうか。昭和の時代にはついぞ耳にしたことが無かったのに、近年突然スポットが当たるようになったのはどうしてなのでしょうか。

今回はこの『永代供養』という言葉に対し、その歴史的経緯や我々の生活様式の移り変わりなども絡めつつ、その本質を掘り下げてまいります。

そもそも永代供養とは

永代供養は、読んで字の如く『永代』にわたって『供養』して頂ける、という意味を持っています。万がいち代が途絶えてしまったり、突然お参りに行けない状況になってしまった場合であっても供養が滞ることなく継続され、お亡くなりになられた方が誰にも手を合わされないまま放置され続けるという悲しい事態を回避できるのです。その安心感が現代社会における先祖供養への一つの答えとなり、永代供養付きのお墓や樹木葬が多くの方に支持されているのですね。
かつてのお墓と言えば、建てた後にその面倒をみるのは子・孫を含めた自分たちの親族しかおらず、他の誰も一切手を貸してはくれないのが当たり前でした。そこにプラスアルファの価値と安心を与えたもの、それが永代供養というものなのです。

ですがそこにひとつの疑問が湧いてくるかもしれません。永代供養がそんなに良いものであれば、お墓の誕生とともに普及していてもおかしくなさそうですよね。
ですが、たった数十年さかのぼった昭和の時代でさえ、この単語はまだ世に広まっていませんでした。日本で永代供養という言葉が広く知られるようになったのは西暦2000年前後、元号でいうと平成初期~中期あたりからで、それ以前には一般の方が耳にする機会はほぼなかったのです。
こんな便利なものなのに、なぜそれまでは普及していなかったのでしょう。その理由のひとつが、家督を守るという意識に対する人々の変化です。昭和の時代、或いはそれより以前には家督、つまり『家』としての世継ぎを確保し、血脈を途絶えさせないことが社会的に重要視されていました。そのために男児が生まれなかった家系では、入り婿や養子を迎えてでも跡取りを確保するということが当たり前のように行われていたのです。つまりそういった危機を迎える前に何らかの打開策をたてるので、実際に代が途絶えてしまうという事態に直面することが少なく、ひいては永代供養という概念も社会的に必要とされていなかった、ということになります。
しかし時代が進むにつれ、徐々に事情が変わっていきました。少子化問題が加速し始め、跡取りを確保することそのものが難しくなってきたのです。また、生活スタイルの移り変わりとともに人々の家族に対する意識も変わり、代が途絶えることに対する抵抗感が徐々に薄れてきた、という点も大きく影響しているでしょう。ひと昔まえであれば『お家断絶』と大ごとに扱われていたことが、徐々にそうではなくなってきたのです。そのため、本来であれば代々承継していくことを前提として建てたはずのお墓ですが、誰も面倒を見る方がおらず野放しにされている、いわゆる『無縁墓』が急増する事態となりました。数々のご先祖さまや、ゆくゆくは自分自身も入ることになるであろうお墓が、近い将来に無縁墓となって放置されるかもしれない…そんな不安を抱き始めた人々にとって、永代供養はまさに救世主となったのです。
またちょうどこの頃『墓地、埋葬等に関する法律』が改正され、既に埋葬された遺骨を第三者(ここでは主に墓地の管理者)が移動させるための手続きが、大きく簡略化されたことも後押しとなりました。つまり墓地の管理者が、無縁墓の中に納められている遺骨を合祀墓(何百・何千ものお骨を一カ所に納めることができる大型のお墓)に移し、合同供養を行うことへのハードルが下がったのです。これにより永代供養による安心感を謳う墓地や霊園が表れ、前述した需要も相まってその社会的認知を大きく引き上げ、現在に至っています。

『永代供養』だけで安心してはいけない、思わぬ落とし穴

では実際に永代供養の納骨場所を探す際には、どんな点に注意を払えばよいのでしょうか。「注意もなにも、どこを選ぼうが永代にわたって供養してもらえるのでは?」と思われた方も多いでしょう。冒頭でも説明した通り、それは間違いありません。しかし、もっと注目すべき重要なことがあるのです。それは『いつから』供養が始まるのか、という点です。
ここを見誤ってしまうと「思っていた永代供養と違う…」という事態になりかねませんので、
しっかりと確認をしておきましょう。
いつから始まるのかという観点において、永代供養は大きく三つに分類することができます。まず一つ目は、代が途絶えた後に永代供養が始まる、というもの。基本的にはまだまだ代が続くことが想定され、日々の供養は自分たちで行うが、万が一の際に備えておきたい、という方に適しています。そして二つ目は、一定期間が経過したのち自動的に墓じまいが行われて永代供養へ移行するタイプです。近い将来に代が途絶えることはほぼ確定しているが、自分の死後もお参りに来る人(他家に嫁いだ娘や、友人・知人など)がいて、その方たちが元気な間は墓所を残しておきたい、という場合にはありがたい方法と言えるでしょう。最後は、お骨を収めたその時から永代供養が受けられる、という方法です。自身でお参りに行くことができない状況の方にお勧めできる選択肢ですね。また、個別の埋葬場所は持たずに最初から合祀を望む方もここに含まれます。(※)

※公営による施設などでは、永代供養を受けられない合祀墓も存在するので注意が必要

ではなぜこれらの分類を把握することが重要になってくるのでしょうか。例えばここに、一組の夫婦がいたとします。二人して米寿を迎えたこのご夫婦は、息子夫婦と先日成人したばかりの孫に囲まれて生活を送っており、もしかしたら近い将来に初ひ孫をこの手に抱ける日が来るかもしれない、との想いを巡らせながら日々を過ごしている、と想像してみましょう。
このご家庭のように、まだまだ先の世代まで代を継ぐ予定の方がいらっしゃるのであれば、一つ目に紹介した『代が途絶えた後に永代供養が始まる』ものを選ぶのが、理に叶っています。もしも、二つ目の永代供養(一定期間経過後、自動的に永代供養へ移行する)タイプだったとしたら。そして本人たちがそのことを知らずに購入してしまったら…将来、意図していなかったタイミングで勝手にお墓じまいされてしまう、という事態になりかねません。
まだまだこの先、代が続いていくのにも関わらず、です。想定していた永代供養とは全く違うものであることがお判り頂けるかと思います。

更に他の例を挙げてみましょう。お子さんのいないご夫婦がいらっしゃったと仮定します。
長年連れ添った夫を先日亡くされた奥様は、悲しみに暮れつつも遺骨の埋葬先を探していました。ご本人は足が悪く、自分ではお参りに行くことが難しいのでどうしたものかと思案していたある日、隣町に永代供養付きの樹木葬があることを知り、これなら安心と購入しました。ところがこの永代供養は、代が途絶えてから始まるタイプの永代供養だと後から知って、愕然とされたのです。

自分自身でお参りに行けないからこそ永代供養が頼りになると思ったのに、自分が死ぬまで夫は供養を受けることができない…こんな悲しい事態は、絶対に避けなければいけませんね。そのために必要なのが、先述した『永代供養はいつから始まるのか』をきちんと把握しておくことなのです。永代供養が付いているから大丈夫、と一様に安心すればいいわけでは決してなく、それが本当に自分が望んでいるものに合致しているのか、そこをしっかり見極めることこそが、後悔に繋がらない重要なポイントといえるでしょう。

最後に

生活様式の移り変わりは、年を経るごとにそのスピードを増しています。かつては十年ひと昔と形容されていた時の移ろいは、いまや五年ひと昔と言ってもいいくらいの時代になりました。また人々の先祖供養に対する考え方も、かつてないほどの多様性をはらんでいます。

それらに伴って、現代の墓地・霊園は様々な供養方法を提供し、また常に最新の需要に対応すべく進化を遂げてきました。しかし、そのために選択肢が多くなりすぎて、何を基準に納骨先を決定すればよいのかが判りにくくなっているのも事実です。自分たちが本当に求めている永代供養はどんなものなのか。購入を検討している納骨場所はその期待に沿っているものなのか。今後、家族や親族の間でこのような話をすることがあれば本記事を思い出し、ベストな「その先の供養」に繋げていただければ幸いです。

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