前編では、親が愛した場所を訪ねることで、思いがけず、自分の知らなかった親の一面に出会った人たちの体験を紹介しました。後編では、親が好きだった場所を訪れ、「親の視点で世界を見てみる」体験を通じて、親への想いを一層深めた人たちのエピソードをご紹介します。

◆K.Nさん 病院勤務
私の父は、体を動かすのが好きな人でした。製薬会社に勤めており、週末になるとよく家から少し離れたボウリング場へ出かけていました。仕事熱心で、普段は家族に多くを語らない父でしたが、ボウリングだけは特別だったように思います。ただ、私はその理由を深く考えたことはありませんでした。
3年前、そんな父が急病で他界。十分な親孝行もできず、ショックでしばらく落ち込みました。でも、仕事が忙しく、49日を終えてからはなかなかお墓参りに行けず、1周忌、3周忌の法要しか出席できなかったので申し訳ない気持ちもあったんです。
最近になって、少し仕事が落ち着き、ふと、「父が見ていた景色を見てみたい」と思い立ちました。そこで、父が通っていたボウリング場に1人で行ってみました。すると、店に入った瞬間、受付の雰囲気や照明の色、床の模様、どれも微かに覚えがある気がしたんです。
靴を借りてレーンに立ったとき、「子どもの頃、父と一緒に2,3回来たことがある!」と、昔の記憶がそのまま“戻ってきた”感覚がしました。レーンの先を見つめた瞬間、父の後ろ姿がよみがえりました。肩を回す癖、ストライクしたときの照れた笑顔――。私はボールを持ったまま、しばらく動けませんでした。
父はここで何を感じていたのか。仕事の疲れを少しだけ忘れたかったのか。家では見せない表情をこの場所でだけで見せていたのか――。製薬会社と病院は違いますが、私も父と同じ医療に携わる仕事に就き、父が仕事で直面した悩みや大変さが理解できた気がします。それを家族の前では見せなかった父に、改めて尊敬の念を抱きました。大人になった今だからこそ、子どもの頃には気づかなかったことが、今になって胸にしみるように分かる気がしました。
この日、私は1人でボウリングを楽しみました。父のようにはいかないけれど、レーンに立つたびに、父が傍にいてくれているような気がしたからです。父との時間は思い出として残るだけじゃない。この場所の空気や音の中に、今も静かに息づいていると感じました。 帰り道、心の中で父にこう語りかけました。「これからできるだけお墓参りするように心がけるけれど、またここで一緒にボウリングをしようね」、と。

◆N.Hさん 主婦
4年前に他界した母は、毎朝、決まった時間にウォーキングをしていました。詳しいルートを聞いたことはなかったのですが、「あの辺りを歩いていたんだろうな」と思う道がありました。ある日、珍しく早く目が覚めて、思い切ってその道をたどってみたんです。
歩き始めると、特別な景色ではないのに、自然と足が前へ進みました。母がよく休憩していたと言っていたベンチにも座ってみました。ただの公園のベンチなのに、座ってみると胸の奥がふっと温かくなりました。「母はここで何を考えていたんだろう」。そんな思いが静かに浮かんできました。母と同じ時間帯に歩いてみると、朝の光の入り方や風の流れ、鳥のさえずりなど、母の見ていた景色と少しだけ重なる気がしました。
母には、行きつけの店や場所はなかったのですが、ただ毎日、自然と足が向く散歩道がお気に入りの場所だったのでしょう。名前も看板もないけれど、きっと母は、毎朝の散歩で気持ちを整えたり、リフレッシュしたりしていたのだと思います。
母はいつも笑顔を絶やさず、私が口ごたえしたときや、父と衝突したときも翌日はけろりとしている人でした。当時の私は「お母さんは心が強い人だ」と思っていたのですが、自分も親になった今、母の苦労や大変さを、身を持って知り、決してそんなことはなかったのかもしれないと感じました。 きっと母は、もやもやした気持ちを朝の散歩で発散して、どんなときも明るく務めていたのだと考えたら涙が出てきました。この散歩道を歩いてみて初めて、母が人生で大切にしていたことが何か、少しだけ分かった気がしました。私はどちらかというとマイナス思考なのですが、母を見習って、上手に気持ちの切り替えができるようになろうと思いました。次のお墓参りでは、天国の母に向け「いつも機嫌がいい自分でいよう」と宣言してきます。
故人となった親と同じ景色を眺め、同じ空間に立つことは、親がその場所で何を感じ、何を考えていたのか、追体験できる気がしますよね。親の人生を振り返り、親の時間を思い浮かべることが、お墓へ向かう気持ちを自然につくってくれるかもしれません。こうした体験は、お墓の前でそっと手を合わせるときの気持ちを、より温かいものにしてくれるはずです。