「お墓には、国も文化も超える不思議な力があるんです」
前編では、失恋をきっかけに墓参りを始めた“墓マイラー”のカジポンさんの原点と、日本の地に眠る家族愛に溢れたお墓を紹介しました。今回はその続編として、世界101か国、2500基以上のお墓巡りを通じて見えてきた、人間の普遍的な絆の物語をお届けします。
「世界中どこへ行っても、お墓の前では、皆が同じ想いを抱いているんです。家族への愛、尊敬する人への感謝、大切な人を失った悲しみ—。この共通の想いこそが人々をお墓へと引き寄せ、結びつけるのです。私はこれを『お墓の引力』と呼んでいます」。そう語るカジポンさんが海外で見てきた、家族愛の物語をご紹介します。
—— 新たな航海に出る夫婦の永遠の愛
イタリアが世界に誇る映画監督フェリーニと、その妻で女優のジュリエッタ・マシーナが眠る墓は、アドリア海に面した故郷リミニの街にあります。墓前には泉があり、巨大な黄金の船が航海しているような独特の形状をしています。
「小鳥が次々と水を飲みにやって来るため、フェリーニ夫妻も可愛い小鳥たちを見て癒されているだろうと想像してしまいます」とカジポンさん。
「人が死ぬことを『旅立ち』と表現しますが、それをこんなにも美しく表現した墓は他にありません。まるで2人が天国で新たな旅に出発するかのよう。墓の一部が泉になっている墓所は初めて見ました」と語ります。
—— 「死んでも離れない」兄弟愛を伝えるツタの葉
生前、絵が1枚しか売れなかったゴッホ。そんな兄を経済的に支えたのが、画商の弟・テオでした。弟は給料の半分を仕送りし続けましたが、37歳でピストル自殺を遂げた兄の死に打ちのめされ、その5か月後、心の病で衰弱死してしまいます。哀れんだ弟の妻は2人を並べて葬り、ゴッホの親友の医師が墓にツタを植えました。
「ツタの花言葉は『死んでも離れない』なんです。命日を没年で見たら、1年違いで弟が横に眠っているんです。見ず知らずの私でさえ、この兄弟の深い絆に心打たれます」とカジポンさん。
今でも世界中のアーティストたちが、この兄弟の墓を訪れ、ひまわりの花を手向けています。「芸術を愛する人々の心の中で、ゴッホ兄弟は今も生き続けているんです」。
—— 15年の時を超えた”Together Again”
写真をアートの領域にまで高めたと言われる写真家・マン・レイ。彼のお墓にはもともとシンプルな楕円形の墓標が建っていました。15年後に他界した妻が自身の墓標を並べた際に、2人の写真と共に次の言葉を刻みました。
“Together Again”(また一緒に)
「死を悲しみではなく、再会の喜びとして表現しているんです」とカジポンさんは言います。「亡くなった後もまた一緒にいたいと思える関係、そんな夫婦の絆を築くことが大切なのではないでしょうか」。カジポンさんはこのお墓との出会いから、「皆さんも『Together Again』と言い合えるような人生を歩みましょう」と、墓参りの体験を語る場で伝えるようになったそうです。
—— 永遠に燃え続ける愛の証
米国首都のアーリントン国立墓地は1864年に南軍兵士の墓が築かれたのが始まりで、35万人以上が眠っています。面積は3平方㎞(甲子園球場の約75個分)という広大さです。
43歳で大統領となり、46歳で暗殺されたケネディ。大統領は軍の最高司令官ですから、この軍人墓地に埋葬されました。悲劇的な死から5年後、幼い子どもたちの身の安全を懸念したジャクリーン夫人は海運王オナシスと再婚し、新たな人生を歩み始めます。
しかし彼女の心の中でケネディの存在が消えることはありませんでした。暗殺事件から31年後、64歳で他界したジャクリーンは、自らの永遠の眠りの場所として元夫のケネディの隣を選んだのです。ケネディの墓前には彼女が葬儀の日に点火した「永遠の炎」と呼ばれる追悼の火が、半世紀以上たった今も静かに燃え続けています。
—— 言葉の力で結ばれる親子の永遠の絆
『トム・ソーヤの冒険』の作者マーク・トウェインの墓域には、家族全員が眠っています。中でも印象的なのは、愛娘クララが建てた高さ3.7メートルの記念碑です。
「この高さは『マーク・トウェイン』という名前そのものなんです」とカジポンさん。「若い頃にミシシッピ川で水先案内人をしていた彼のペンネームは、安全に航行できる水深を指すマーク・トウェイン=12フィート(約3.7メートル)。娘さんは“心安らかにあの世を旅して”という想いを込めて、父の名前と同じ高さの3.7メートルにしたのだと思います」。
碑文には「死は、昨日の友情と明日の再会の間にある星明かりの帯です」という詩的な表現と共に、クララ自身が添えた「私の父と夫の愛しい思い出のために」という言葉が刻まれています。
また、24歳で若くして亡くなった長女スージーの墓も感動的です(真ん中のお墓)。そこにはトウェインが娘への愛を込めて捧げた、ある豪州の詩人の詩が刻まれています。「暖かい夏の太陽がここで優しく輝き、暖かい南風がここでそよ風を吹かせ、緑の草が軽く上にある。おやすみ、愛する人よ、おやすみ、おやすみ」。その左に眠る三女ジーンの墓石には「彼女の寂し気な父がこの石を据えた」とトゥエインの言葉が入っています。
「この墓域は家族の物語そのものなんです。親から子へ、子から親へ。互いを想う気持ちが、死をも超えて永遠に交差しています。言葉の魔術師トウェインの魂が、最も美しく表現された場所かもしれません」とカジポンさんは語ります。
—— 死後も導く師の支え
作曲家ウェーバーは結核を患いながらも家族を養うため単身ドイツから渡英します。ロンドン公演は成功しましたが、過労で病状が悪化。他界直前の手紙に「再会できたらどんなに幸福だろう。世界中で何よりも君たちを愛する父」と記し、39歳で生涯を閉じました。
お金がなかったため彼の遺骨は死後18年間ロンドンに残されていました。それを駆け出しの作曲家ワーグナー(当時31歳)がドイツに帰したのです。この年にウェーバーの息子も19歳で早逝しており、不憫に思ったワーグナーは親子を同じ墓所に埋葬したのです。
後にワーグナーは墓地の真向かいの家に引っ越しました。当時の彼はオペラが連続で上演打ち切りとなり、苦境に立たされていました。「これは単なる偶然ではないんです」とカジポンさんは熱を込めて語ります。「ワーグナーは初演のめどが立たない新曲オペラを書き続けていました。彼は心が折れそうになるたびに、『あなたのように偉大な作曲家になりたい』—その想いを胸に、敬愛するウェーバーの墓前を訪れ、勇気をもらっていたのでしょう。人は死んでからも、生きる人の支えになれるのです」。
101か国のお墓を訪れる中で、カジポンさんは「墓前の風景」の本質に気づいていきました。「国が違えば墓地の形も様々です。でも、おばあちゃんに会いに来た家族の優しい笑顔や、友人の前でギターを弾く若者の姿は、世界中どこでも同じ。それを見ているうちに気づいたんです。文化や国籍が違っても、人間の心は驚くほど似ているんだと」と語ります。
カジポンさんはその具体例として、アンネ・フランクの墓を挙げます。そこには世界中から様々な言語で書かれた手紙が届くといいます。「これは偶然ではありません。人間には、相違点よりもはるかに多くの共通点があるのです。だからこそ、お墓は『ありがとう』を伝えられる大切な場所として、これからも必要とされていくはずです」。
さて、皆様の心には何が残ったでしょうか? 前後編でご紹介した様々なお墓の物語は、時代も国境も超えて、人間の根源的な愛の形を教えてくれているように思います。お墓は、そこに眠る人への感謝とともに、私たちが明日へと歩み続ける勇気を与えてくれる場所なのかもしれません。
カジポン・マルコ・残月(文芸研究家/墓マイラー)
1967年生まれ。大阪府出身。文芸研究家にして“墓マイラー”の名付け親。
感動を与えてくれた芸術家や敬愛する歴史上の偉人に「ありがとう」と感謝の言葉を伝えるため、10代の終わりから38年にわたって墓巡礼を続け、世界101カ国、2500人以上に墓参。
「民族や文化が違っても、人間は相違点より共通点が“はるかに”多い」をモットーに、墓巡礼の素晴らしさを語り続けている。
レギュラーに『加登SPECIALお墓から見たニッポン』(テレビ大阪)、『ラジオ深夜便 世界偉人伝』(NHK)、著作に『世界音楽家巡礼記』(音楽之友社)、共著に『地球の歩き方・世界のすごい墓』(Gakken)など。
偉人の墓と生涯を紹介したHP 『文芸ジャンキー・パラダイス』は累計8000万件アクセスを超える。
(取材・文 戸田敏治)