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その先の親孝行2025.03.24世界101か国で2500以上のお墓を訪ねてきた“墓マイラー”が語る「お墓に眠る家族愛の物語」【国内編】

「私の墓参りは、失恋から始まりました」

人生の恩人たちのお墓を訪ね歩く”墓マイラー”のカジポンさん。その活動の原点は、19歳の時の失恋でした。美大を目指していた片想いの女性の気を引くために美術を学び、音大生を好きになってクラシック音楽を聴き、図書館の受付の女性に想いを寄せた際にはロシア文学に親しみました。いずれも恋は実りませんでしたが、その過程で出会った芸術は、カジポンさんの心を深く癒していきました。

「失恋という灰の中から、芸術というダイヤモンドを拾いました。感謝の気持ちを伝えたくて、お墓参りを始めたんです」

そう決意した19歳の夏、最初に訪れたのはロシアのドストエフスキーの墓でした。それから38年。世界101か国で2500以上のお墓を訪ねてきました。

「墓の引力」という不思議な力

「お墓には人を引き寄せ、人と人を結びつける不思議な力があるように思えます。私はそれを『墓の引力』と呼んでいます」

カジポンさんは言います。南太平洋の離島にある画家ゴーギャンの墓には、週に3便しか飛行機が飛ばない場所にもかかわらず、世界中から人々が集まってきます。「『こんなところまで来るなんて、お前もクレイジーだな』と笑い合える。この『墓の引力』が、見知らぬ人々を結びつけるんです」

お墓は単なる石ではなく、想いが込められた生きた場所だとカジポンさんは語ります。「お墓の前でありがとうを伝えに来る人たちの姿や光景は、世界中どこでも同じなんです」。

今回は、日本の地に眠る心に響く家族愛の物語をお届けします。カジポンさんが恩人たちへの感謝を伝えるために続けてきた墓参りの旅。その過程で出会った、家族の絆や夫婦の愛に満ちた感動的なお墓を紹介します。

岡本太郎家の墓(東京・多磨霊園)

—— 「家族団らん」が永遠に続く、日本一心温まる墓地

多磨霊園に佇む岡本家の墓域には、芸術家の岡本太郎とその両親である漫画家の岡本一平、作家の岡本かの子という、三者三様の個性を持つ家族が眠っています。

この墓の最大の特徴は、その配置と表情にあります。太郎さんの墓は、両親の墓に向かって笑顔を向けるように建てられています。生前、父・一平は母・かの子のことを「観音菩薩」と呼ぶほど深く敬愛していました。かの子は生前に「死体を焼くのはおかしい」と火葬を嫌がっていたため、一平が多磨霊園と交渉して土葬の許可を得たほどです。

「季節が変わるたびに訪れたくなる場所なんです」とカジポンさん。墓域中央には、ノーベル賞作家の川端康成が太郎の著書『母の手紙』に寄せた序文から抜粋した碑文があります。「この三人は日本人の家族としてはまことに珍しく、お互いを高く生かし合いながら、お互いが高く生きた。深く豊かに愛し敬い合って、三人がそれぞれ成長した」と岡本家を聖家族と称えています。

太郎の墓碑は、太郎が両肘をついて両親の墓をニコニコと眺めているように見えます。「この3人の墓の中心に立つと、何とも言えない温もりに包まれる。唯一無二の癒やしの墓です」とカジポンさんは語ります。

棟方志功家の墓(青森・三内霊園)

—— 死後も続く夫婦愛を、無限大の記号に込めて

版画家・棟方志功さんの墓は、芸術への想いと深い夫婦愛を同時に表現した稀有な存在です。若き日、ゴッホのひまわりに感動し「わだばゴッホになる」(私はゴッホになる:青森弁)と誓った棟方さん。1959年(56歳)に初めての海外旅行で欧米を訪れた際、フランスで念願だったゴッホのお墓参りを実現します。その際、チヤ夫人の眉墨を使い碑文の拓本をとったといいます。

棟方さんは死を予感したのか、亡くなる前年に自分の墓の原図を描いていました。忠実に作られたその墓は、敬愛するゴッホの墓と全く同じ大きさ、デザインのものでした。前面には『棟方志功 チヤ』と夫婦の名を刻み、特に感動的したのは命日の表記方法です。通常の年月日ではなく、没年には永遠に生き続けるという意味を込めて「∞」(無限大)と彫り込まれているのです。棟方さんが先に他界した後、チヤ夫人も同じ墓に入り共に眠っています。

「ご夫婦は死んでいないのです。永遠に生き続けているという愛情の表現なんです」とカジポンさん。2500以上のお墓を見てきた中で、このような表現方法は棟方家だけだといいます。毎年9月13日の命日には、第九を流しながら焼香をあげ「志功忌」が開かれています。

サトウハチロー家の墓(東京・雑司ヶ谷霊園)

—— 「2人で見ると全てのものは美しく見える」永遠の真理

「ちいさい秋みつけた」「うれしいひなまつり」などで知られる作詞家・サトウハチローさんの墓。カジポンさんが2500以上のお墓の中で「最も感動した碑文」という一基です。

墓石には「ふたりでみると すべてのものは 美しくみえる」という言葉が刻まれています。「この言葉は男女だけでなく、友人、親子、師弟関係など、あらゆる人間関係に当てはまると思います」とカジポンさん。

この言葉には、ハチローさんの深い人生経験が映し出されています。姉は結婚が決まっていたものの18歳で他界。「ひなまつり」の歌詞の2番で、「お嫁にいらした姉様によく似た官女の白い顔」と、姉を結婚させてあげました。

3人の弟たちも若くして他界します。節(たかし)は広島滞在中に原爆で絶命、弥(わたる)はフィリピンで戦死、久(ひさし)は19歳で婚約者と心中。再婚した妻も45歳で急死するなど、別れの多い人生でした。

大切な家族との別れを幾度も経験したハチローさんが残した「2人で見ると全てのものは美しく見える」という言葉。この人間の絆を訴える言葉に、カジポンさんは深く心を揺さぶられるといいます。

河島英五家の墓(奈良・十輪院)

—— 表と裏に刻まれた、魂の言葉

「酒と涙と男と女」などで知られるシンガーソングライター・河島英五さんの墓。正面には「心から心へ」という直筆の文字と、シルクロードを行くラクダの隊列が刻まれています。これは最後のシングル「旧友再会」のジャケットと同様のデザインです。「あの世へ旅立つことを”旧友との再会”と表現した素晴らしい墓碑」とカジポンさんは目を細めます。

さらに感動的なのは、墓石の裏面に刻まれた奥様へのメッセージです。河島さんの手帳に書かれていた言葉をそのまま彫り込んだものでした。

「ふりかえるといくつもの幸せ ふりかえるといくつかの哀しみ いそがしさをいいわけにして あなたとゆっくり話すこともなかったが あなたがいてくれたから がんばってこれたんだ あなたを支えにして あなたにほめられたくて 英五」

墓石の裏面に刻まれたこの言葉を見て、カジポンさんは感慨深げに語ります。「正面の『心から心へ』という言葉に心を打たれます。そして墓石の裏側もまた、深い夫婦愛が刻まれた特別な場所なんです。河島さんの想いが静かに伝わってきます」。

取材を終えて

「日本のお墓には、独特の優しさがあるんです」と語るカジポンさん。失恋をきっかけに始まった墓参りは、今や人生の大切な一部となっています。

「最初は感謝を伝えるためだけのお墓参りでした。でも、こうして多くのお墓を訪ねているうちに、たくさんの家族の物語に出会うことができました。お墓は単なる石ではなく、想いが込められた生きた場所なんです」と、カジポンさんは目を輝かせていました。

さて、皆様の心には何が残ったでしょうか? 今回ご紹介した物語の中に、きっと皆様お一人お一人の大切な人への想いと重なるものがあったのではないでしょうか。お墓は、そこに眠る人への感謝とともに、私たちが前を向いて歩んでいくための力を与えてくれる場所なのかもしれません。

次回は、海外に眠るお墓の物語をお届けします。国境を越えても共通する、人々の深い愛の形をお楽しみください。


カジポン・マルコ・残月(文芸研究家/墓マイラー)

1967年生まれ。大阪府出身。文芸研究家にして“墓マイラー”の名付け親。
感動を与えてくれた芸術家や敬愛する歴史上の偉人に「ありがとう」と感謝の言葉を伝えるため、10代の終わりから38年にわたって墓巡礼を続け、世界101カ国、2500人以上に墓参。
「民族や文化が違っても、人間は相違点より共通点が“はるかに”多い」をモットーに、墓巡礼の素晴らしさを語り続けている。
レギュラーに『加登SPECIALお墓から見たニッポン』(テレビ大阪)、『ラジオ深夜便 世界偉人伝』(NHK)、著作に『世界音楽家巡礼記』(音楽之友社)、共著に『地球の歩き方・世界のすごい墓』(Gakken)など。
偉人の墓と生涯を紹介したHP 『文芸ジャンキー・パラダイス』は累計8000万件アクセスを超える。

(取材・文 戸田敏治)

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