一緒に旅行に行きたいね、なんて話をしていたのにそのタイミングを逃してしまったり、
古いアルバムを見ていたら、子どものころの家族写真がでてきたり。故人との思い出は尽きないもの。
供養といえば、仏壇やお墓に供物や花を捧げて冥福を祈ったりすることだとつい考えがちですが、それだけではありません。故人の思い出の向こう側に、思いを致すこと。
故人は何を想っていたのでしょうか。故人は、私たちに何を伝えたかったのでしょうか。故人を想うだけではなく故人に縁のあった場所を訪ね、故人の見た景色を眺め、かいだ香りをいとおしみ、同じ空気を吸い、味わう。そうすることで故人を本当に感じ、故人に寄り添うことができるかもしれません。さまざまな供養のアイデアを紹介するシリーズの第二弾として、今回は「両親の想いを辿って旅をする」をテーマに考えてみました。故人に寄り添い、想いを追体験する供養を考えてみませんか。
子どものころに家族旅行に行きませんでしたか。そこで撮った家族写真を携えて思い出の地に行ってみると、昔と違った情景に両親の想いが重なって見えるかもしれません。
ーFさんは、お父様の実家が東北なので夏休みになると祖父母の家に行くことが楽しみでした。祖父母の家を起点にさらに東北を旅行したこともよい思い出です。
早起きをして宮城県松島で水平線から上がる日の出を見たこと、いわきの海で海水を飲んでしまって大泣きをしたこと。お父様が裏磐梯高原のホテルの庭にあったハンモックから落ちてみんなで大笑いをしたこと。どれも東北を旅するたびにFさんの脳裏によみがえる大切な思い出です。
わんぱくな男の子だったFさんは、松島の日の出の情景を鮮明に覚えています。当時「うわあ、きれいだね」とお父様に話しかけると、朝日を浴びながら穏やかな顔つきでお父様はうなずいていたそうです。
今年、お父様の写真を荷物に忍ばせ、何十年ぶりかで松島を訪れたFさん。しかし、日の出を見た印象は、子どもの時とは少し違ったそうです。
「昔はとにかく刻一刻と海や空の色や雲の形がかわっていく様子がおもしろくてはしゃいでいたのですが、今回は日中とはまるで別の世界にいるような神秘的な太陽のパワーに圧倒されました。父は、お調子者だった私に日の出を見せて『同じ日は二度とこない。一日一日を大切にしなさい』と私に伝えたかったのではないでしょうか。思わず父を想い、朝日に向かって手を合わせました」
Fさんは、今度はお子さんを連れて松島を訪れようと考えているそうです。
仲の良かったご両親のお気に入りの旅行先。そんな場所に行ってみると、たとえ初めて行く場所であっても、故人の在りし日の様子が目に浮かぶようです。
ーMさんのご両親は、毎年真冬の寒い時期に四万温泉に湯治に行くのを楽しみにしていたそうです。特にお母様は「湯冷めすることなく、いつまでもポカポカしてとても温かいのよ」と四万温泉の湯を気に入り、よく話していました。
お母様が亡くなり、初めての冬。ひとりになってしまい寂しそうなお父様を見かねたMさんご夫婦が声をかけ、それからは毎年お母様の写真を持ってその旅館に湯治に行くようになったそうです。
部屋につくと窓際の景色のよく見えるところにお母様の写真を置き、あとは温泉にはいってくつろぎます。
その旅館の広い浴場には5つの湯舟があります。「母は、いつもどの湯舟から入っていったのかな?右の湯舟かな。奥の湯舟かな」とMさんは、お母様のことを想いながらその日の気分で最初に入る湯舟を選びます。Mさんはお母様と一緒に四万温泉に行ったことはありません。しかし、とろりとした湯の心地よさを味わいながらゆったりと身を沈めれば、湯煙の向こうにはお母様の元気なころの姿がありありと浮かび上がるように感じられます。
日頃は忙しくしているMさんですが、1年に一度四万温泉で、お母さまのことを偲ぶ時間をとても大切にしているとのことです。
「新婚旅行で上高地に行ってね…」。写真を見ながらご両親がなつかしそうに語る話を聞いたことはありませんか? 古いアルバムをめくれば、新婚旅行中の、輝くばかりのお母様の笑顔と見守るお父様の慈愛にあふれた表情に胸が突かれるような気がするものです。自分たちが生まれる前のご両親の青春のあとを辿ってみる旅は、また違った味わいがありそうです。同じ場所に立ち、若きご両親が感じた感動と同じものに想いを馳せてみるのもまた供養となるのではないでしょうか。
ーOさんのご両親の新婚旅行先は、熱海でした。新橋発熱海行きの電車では、少し物憂げな様子で車窓から外を眺めるお母様の写真も残っています。新しい生活に踏み出す不安を感じていたのでしょうか。
ホテルの庭の芝生に映画女優のように足をそろえて座り、ポーズをとる若き日のお母様。何がそんなに楽しいのかこぼれんばかりの笑顔です。ご両親はその地をあまりにも気に入ったため、予定を1泊延ばして熱海を楽しんだとか。
「年をとってからも、写真を眺めながらホテルの調度品のすばらしさや庭の芝生の緑の鮮やかさ、高台から眺める海の美しさなどを語る母は、いつもとても幸せそうでした」とOさん。そのホテルは今はありませんが、Oさんは当時の写真を持って熱海を訪れご両親の旅行の足跡をたどってみたいと考えているそうです。「若かりし母がしたように、車窓から外を眺めて何が見えるのか見てみたいですね」
ご両親は結婚後、お父様の大病や親の介護など、決して楽しいことばかりではなかったはずですが、そのスタートがこんなにも夢と希望に満ち溢れていたこと。そこに想いを馳せ、Oさんは優しかったご両親の冥福を祈り、自分たちを生み育ててくれたことに心から感謝の気持ちを伝えたいと考えているそうです。
「紅葉の季節に一緒に京都に行きたいね」と言われていたのに、叶えられなかったなどという場所はありませんか? 一緒に行けなかったことを後悔する気持ちがあるかもしれませんが、今からでも写真を携えて行ってみることは供養になるかもしれません。
ーIさんには心残りのことがあります。それはお父様が生前、家族で旅行に行きたがっていたのに果たせずに終わっていたこと。お父様がお姉様一家とIさん一家と総勢11名で行きたいと言っていたその先は四国。全方位海の素晴らしい絶景の場所があるというのです。しかしお父様は足が悪く、杖や車いすが欠かせない状態でした。移動や現地でのアクティビティを考えると、Iさんにとってはどうしてもハードルが高く、実行できなかったのでした。
「申し訳ないという気持ちが強くて行く気にはなれなかったのですが、今度姉夫婦ともいっしょに行ってみようかと計画をしています」。 お父様と行くことは叶いませんでしたが、お父様がどこに心を動かされて、何をしたくて子供や孫たちと四国に行きたかったのか。何を観たかったのか、何を食べたかったのか。「こういううどんがおじいちゃんは好きそうだもんね」「ここは車いすでは、上っていくのは難しかったかもしれないね」「ヘルパーさんに頼めば大丈夫だったかもしれないよ」「頑固だからそれは嫌がりそうだな」「それもそうね」とみなでお父様のことを考えて計画をし、話しながら行く旅は、それだけで供養となるのではないでしょうか。そして「ああ。この景色を一緒に観たかったのか」という雄大な景色をみなで観ることができたなら、お父様も彼岸で「そうだろう?俺の言った通りだろう?」と満足げに微笑んでくれるかもしれませんね。
遠くに旅をするだけではありません。日帰りでも故人の好きなところに行ったり、好きなものを食べたりして故人をしのぶことも供養となるでしょう。
ー毎年母の日にお母様のお気に入りだった中華料理の店に、遺影を携えて訪れているというSさんご家族。
お母様がお気に入りだったスープを口に含めば、「この味は家では出せないわねえ」とため息をつきながらもうれしそうなお母様の笑顔がよみがえります。
蒸篭の蓋を取れば、鼻孔をくすぐる香りが立ち上り、湯気の向こう側には微笑むお母様の遺影があります。晩年は次第に小さい姿となっていったお母様。自分が食べるよりも子供や孫が食べる姿をとても楽しそうに眺めるようになったのはいつの日からだったのだろうか。心の中で、遺影に問いかけるSさんです。
大切な方の想いに寄り添い、真摯な気持ちで近づく。故人に縁の深いところで、目を閉じ、耳を澄ませて、手を合わせてみましょう。今まで見えなかったものが見え、聞こえなかった声が聞こえてくるかもしれません。それも供養の一つではないでしょうか。
「みんなの供養のアイデア」シリーズ2回目は、「両親の思い出の地を巡る」というアイデアでした。供養の一つの考え方に加えていただければ幸いです。
(文:宗像陽子)