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その先の親孝行2024.07.08お盆の始まりは親孝行だった!?

「お盆」は、ご先祖様や逝去した家族の魂を自宅に迎え、供養する日本の夏の風習です。提灯などで火を灯す「迎え盆」や、胡瓜と茄子で作る「精霊馬」を思い浮かべる人もいるかもしれませんね。この時期は実家に戻り、家族でお墓参りをしたり、故人の思い出話をしたりして過ごす人も多く、家族のつながりを深める風習でもあります。
そんなお盆の由来が、「親孝行」であることはご存知でしたでしょうか?

夏の風習、お盆とは?

日本の夏の風習であるお盆は、先祖や故人が穏やかに成仏してくれるようにと、感謝と報恩を込めて供養する行事です。

お盆の期間は一般的に毎年8月13日~16日の4日間。8月13日を「迎え火=盆の入り」とし、16日が「送り火=盆明け」とされています。東京都をはじめとした一部の地域では、お盆期間が7月や9月など、必ずしも8月ではないことがあります。

同じ日本でお盆の時期が異なるのは、明治維新後にそれまで使われていた旧暦から、欧米にならった新暦に変更されたからです。こうした事情から、東京のお盆の時期は7月になり、地域によっては旧暦通り、8月15日をお盆(月遅れ盆、旧盆)とし、現在に至ります。 他にも、お盆は宗派によって時期や供養の方法が異なる場合もあります。例えば、浄土真宗は、お盆を「故人の供養」という意味で捉えていないため、お盆を行いません。宗派は各家庭で異なるので、自分の宗派はお盆をどう考えているのか、どんな行事があるかを調べると良いでしょう。

お盆には何をするの? お盆の主な慣習や行事

お盆にはさまざまな準備や行事があります。各家庭や地域によって異なりますが、今回は一般的なお盆の作法について紹介します。

<迎え盆>
お盆が始まる8月13日に行う「迎え盆」は、先祖や故人の魂をこちらに迎えるための行事。迎え盆では、仏壇に花を飾り、供え物をし、精霊馬などを準備した後、玄関の外や庭などで迎え火を焚きます。この迎え火を目印に先祖や故人の魂がやって来るといわれています。

<お供え物>
お盆のお供え物は「五供(ごくう)」が基本とされています。宗派により異なりますが、仏教では「香」「花」「灯明」「浄水」「飲食(おんじき)」の5つを「五供(ごくう)」とするのが一般的。それぞれどんな意味があるのでしょうか。

・「香」:仏教では、仏は香りを好むとされています。御線香などをお墓や仏壇をお参りするときに焚くことで、お参りする人の心身を清める意味もあります

・「花」:仏教では、仏は花の香も好むとされています。お供えの際は、お花の向きを自分のほうに向けることで、仏と花と同時に向き合い、心身を落ち着ける意味があります

・「灯明」:ろうそくの灯りを指し、仏の慈悲の光を表しています

・「浄水」:仏教では「死者は喉が渇く」とされ、水は最も重要なお供え物とされています。仏壇のある家庭では、毎朝新鮮な水を供える習慣があります

・「飲食(おんじき)」:自分たちの食事と同じものを備えることで、仏や先祖、故人の魂とつながることができると考えられているため、朝晩に、主食である米などをお供えします。このときは自分たちが食べる前にお供えします。

<お墓参り>
お盆の入りである8月13日に、お迎えの意味も込めて行くのが一般的です。そのため、お墓の掃除などは8月12日までに済ませておきましょう。

<送り火>
「送り火」は、お盆の最終日8月16日に行い、あの世へと戻る先祖や故人の魂を見送る行事。一般的には、玄関の外や庭などで焙烙(ホウロク)と呼ばれる素焼きの皿上でオガラ(麻の茎の内部を乾燥させたもの)を焚き、送り火とします。京都の「五山送り火」、九州地方などの「精霊流し」「灯籠流し」などは、代表的な送り火の行事です。

このように、お盆にはさまざまな行事があります。お盆の風習はいずれも歴史は長く、古くから日本に根付いていますが、お盆はなぜ始まったのでしょうか?

お盆の正式名称は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」

お盆の正式な名称は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といいます。別名で「盂蘭盆(うらぼん)」「盆供(ぼんく)」と呼ばれることもあります。盂蘭盆会の語源はインドのサンスクリット語「ウランバーナ」とされており、その意味は「逆さまに吊り下げられる苦しみ」です。

また、盂蘭盆会とは、中国が発祥とされる仏説、「盂蘭盆経」という経典が基になっています。この経典に記されていて、お盆の由来とされる目連尊者(もくれんそんじゃ)のエピソードを紹介します。

目連尊者はお釈迦様の十大弟子の一人で、強力な神通力を持っていました。
目連尊者は、裕福な家庭で両親の愛情を受けて育ちました。とても賢く、勉強が好きな子どもだったそうです。しかし、青年になったある日、出家を決意。引き留める両親を説得し、家を出ます。

その後、お釈迦様と出会い、弟子として厳しい修行を受け、やがて悟りを開いた目連尊者は、神通力が開花。他人の心が見える、動物と心を通わせることができるなど、「神通第一」と称されるようになりました。

ある日、目連尊者は亡くなった母を思い、「今はどこでどうしているのだろうか?」と疑問を抱きます。そこで神通力を使い、母が餓鬼道に落ち、飢えや喉の渇きに苦しんでいる姿を見つけます。餓鬼道は、生前他人を思いやる心がなく、我欲を優先してきた人が落ちるところとされていました。

母が餓鬼道に落ちたことには理由がありました。
真夏のある日、目連尊者と両親が暮らす家の前を、長旅で喉がカラカラだった修行僧が通りかかりました。修行僧は、家の土間にあった水瓶を目にし、土間に入り「少しでいいから水を分けてほしい」と願い出ます。しかし、母は「私の大事な息子に飲ませるための水だから分けられない」と断ってしまいました。このことが天界で「他人を思いやる心がない」とされ、母は餓鬼道に落ちてしまったのです。

嘆き悲しんだ目連尊者は、お釈迦様に「なんとか母を救いたい」と相談します。
すると、お釈迦様は「そなたは、餓鬼道に落ちて苦しんでいる全ての人を救う心を持ちなさい。そして夏の修行が終わる日(旧暦の7月15日)、修行僧全員に食事や水などを与えなさい。そうすれば餓鬼道に落ちた者にも施しが届くだろう」と言いました。

そこで目連尊者は、お釈迦様に言われた通り、夏の修行が終わる日に、修行僧たちに食べ物や水、寝具などをふるまいました。修行僧たちはたいそう喜び、その喜びの心が餓鬼道まで届き、目連尊者の母も救われたといいます。

目連尊者の母を思う心が、供養を通じて母の魂を極楽往生へと導くことができたのです。後に、この行為が、「親孝行」の一例であるといわれるようになりました。

目連尊者の母を思う心が、今の「お盆」の風習につながる

それ以来、旧暦の7月15日は両親や先祖、故人に感謝と報恩を捧げ、供養する日となりました。

お盆のお供え物の中でも、「浄水」や「飲食」が特に重要とされている背景には、目連尊者の「親孝行」があったからなのです。

お盆の行事は時代によって変化しながらも、先祖や故人の魂を家に迎え、家族、親戚がそろって供養する重要な日として日本に根付いています。

■まとめ

親孝行は、日々の行動を通じて示されるものです。親と共に暮らしていても、離れて暮らしていても、お盆の時期に限らず、日々思いやりの心を忘れずに接することが、親孝行につながるのではないでしょうか。

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