あまり知られていないかもしれませんが、日本の一部には「親孝行」を由来とする地名や地域があります。そこで今回は、親孝行に関連する地名を持つ地域をご紹介。その由来を通じて、意外な歴史や起きた出来事、伝承を知り「親孝行」に想いを馳せてもらえたらうれしいです。
京都市中京区にある小規模の商店と住宅が並ぶ蛸薬師(たこやくし)町。日本各地に伝承信仰があるこの蛸薬師(たこやくし)について、親孝行に関するエピソードがあるのはご存じでしょうか?
昔、京都のこの地区にあった「永福寺」には、善光という僧侶が勤めていました。ある日、善光は、重い病に苦しむ母から、「人生の最後に好物の蛸が食べたい」と言われます。そこで、善光は母の願いをかなえるため市場に出掛け、蛸を買った帰り、近所の人から不審の目を向けられてしまいます。
僧侶にとって、殺生や生き物を食べるのは禁忌。寺の近所の人は市場から戻った善光の様子を不審に思い、声を掛けました。「今、何を買ってきたのだ?」と、手に持っていた箱を開けるよう詰め寄ると、善光は嘘をつくことなく箱を開けました。中には蛸がおり、近所の人は善光が禁忌を犯したと非難するところでしたが、善光は「この蛸は母の病がよくなるようにと願って、母のために買ったものです」と日頃から信仰していた薬師如来に祈りました。すると、たちまち蛸の足が8本の経典に変わり、辺りを霊光で包みました。この光は善光の母にも届き、病気がすぐによくなったそうです。それ以来、人々の間で蛸薬師への信仰が高まり、全国に知られるようになりました。(エピソードには諸説あります)
戒律を破ってまで、母の願いをかなえようとした善光の行動と薬師如来への信仰心には胸が打たれますね。現在、善光が勤めていたとされる永福寺蛸薬師堂は、京都の繁華街、新京極通りに面する場所にあり、ガン封じや病気平癒を祈願する人が多く訪れています。こちらの蛸薬師堂は「寺内に足を踏み入れただけでも薬師如来のご加護を受けられる」と言われているので、京都観光の際は、一度訪れてみてはいかがでしょうか。
(提供:個人の観光の方より)
【新京極商店街 公式サイト】
https://www.shinkyogoku.or.jp/jisha/takoyakushi.html
京都市の中心部に位置し、観光客で賑わう四条烏丸の北に「笋町」というエリアがあります。あまり目にすることのない難しい漢字ですよね。『笋町』は「たかんなちょう」と読み、「笋」は、漢字の「筍」の古称。つまり、タケノコを意味しています。なぜ、タケノコが親孝行と関連しているのでしょうか?
笋町は、京都の有名なお祭り「祇園祭」で、「孟宗山(もうそうやま)」という山鉾が建てられるエリアとして知られています。「孟宗」とは、中国の故事に登場する親孝行者として知られる人物。幼い頃に父を亡くし、病気の母を看護しながら暮らす中、ある冬の日に母から「タケノコが食べたい」と言われます。なんとか母の希望をかなえようと、雪が積もった竹林に行きましたが、当然タケノコはありません。それでも孟宗は神に祈りながら雪を掘り続けていると、土の中からタケノコが山ほど出てきました。孟宗は大喜びで、そのタケノコで汁物を作り、母に食べさせるとみるみる回復したそうです。
季節外れと分かっていても、母のために極寒の竹林へ向かった孟宗。その母を想う心は多くの人の感動を呼びました。こうして、親を大切にする優しい心を持つ孟宗を御神体とする「孟宗山」が伝わる町を、敬意を込めて「笋町」と呼ぶようになったそうです。
【祇園祭 公式サイト】
http://www.gionmatsuri.or.jp/
千葉県の北部、印旛郡にある酒々井町(しすいまち)にも、親孝行に関する伝承が残っています。
その昔、印旛沼付近のある村に、年老いた父親と息子が2人で暮らしていました。息子は酒好きな父親のために、毎日懸命に働き、酒を買って飲ませていました。しかし、ある日酒を買うお金が
尽きてしまい、肩を落として歩いていたところ、道端の井戸から良い香りが漂ってきました。息子が不思議に思い井戸の水をくんでみると、それはなんと本物の酒。すぐに持ち帰り、父親に飲ませると大いに喜ばれました。それから息子は毎日この井戸の酒を父親に飲ませてあげたと伝えられています。
しかし、この井戸の酒は、親子以外の者が飲むとただの水になったため、近所の人は「息子の親孝行の気持ちが天に通じたからだ」と感心したそうです。こうした孝行息子の話が、近隣に広まり、いつしかこの村は「酒々井町」と呼ばれるようになりました。
親のために一生懸命に働く息子のことを、神様は日頃からしっかり見ていたのでしょう。常に親を大事にし、願いをかなえてあげたいという優しい心をもっていたからこそ、いざというときに神様が助けてくれたのですね。
【酒々井町 公式サイト】
https://www.town.shisui.chiba.jp/
福岡県には「親不孝通り」という商店街があります。地名ではありませんが、孝行と関連する名称として広く知られています。その由来は、かつてこのエリアには複数の予備校があり、多くの浪人生が通っていたことから「親不孝通り」と呼ばれるようになりました。
その後、街が繁華街として発展したため「天神よろず町通り」に、その数年後「親富孝通り(親が富み、子が孝行する通り)」に変更されました。しかし、地元の人が「愛着のある親不孝通りの名称を残してほしい」と声を挙げ、2017年に通りは再び「親不孝通り」に改称され、現在に至ります。「親不孝」というネガティブな言葉をあえて通り名に使うことで、「親孝行」について考えてほしいと伝えているのかもしれませんね。
【親不孝通り商店会 公式サイト】
https://oyafukodori-shotenkai.or.jp/oyafukodori/
■まとめ
今回ご紹介したエピソードでは、「親の願いをかなえたい」という優しくて清らかな心を持つ人物が登場しました。親孝行は突然行うものではなく、日頃から親を思いやる心掛けの大切さを伝える逸話だからこそ、何百年と語り継がれてきたのでしょう。何気なく目にした地名にも、親孝行に関連した伝説が背景にあると知ると、また違った視点で興味が湧きますね。こうした地域を訪ねることで、自分の中にある親への気持ちを見つめてみてはいかがでしょうか。日本には、まだまだ親孝行に関連する地名や地域があります。ぜひ、探してみてください!